2017年 04月 04日
なみ の こり
.。o○ .。oOO 。 。.。o○ .。oO
それらは タイミングの あと の
なにかの なごり 名残 なみのこり 波残り こり
個人的には その あたり
(の どこかでの アングル)
ここで「落雷」と入れてクリックしてみますと どこかを なんとか ? とか 出
ぜんご ふかく
中2枚が つんだ日で 上下‐同じ場の別角度 が わたす前
わりと都電のライン沿い 線の傍でもある ならば
何かと 何かの 交差点 付近
「スガモプリズンからの排水口跡」で検索をしました中
そちらさまのものが そのときのようすに わりあい
blogs.yahoo.co.jp/lemonzingersugi/66674155.html
ほか・・半径何メートルか わかりませんが 児童遊園とか 数か所で
なにかと つながっていそうな
水窪川
鶴巻川
川跡沿い 大鍋で蓋をした掘り抜き井戸
パイプから水が自然に流れ出す自噴井戸で
地下水位が浅くて水量が豊富であることがうかがえる
…ここより下流側はかつてホタルの名所であったという…
ナベブタつきの画像は 少し前の ここのもの
・。・
9 灯りなどの画
ふりかえる
刑場の整備
巣鴨に拘禁されていた戦犯者は、「刑場を整備し、遺跡として永久に保存したい。」と希求していたが、スガモ・プリズンが日本に移管されると、その気運も次第にたかまり、昭和27年11月、陸軍中将福島久作(絞首刑より終身刑に減刑)、及び陸軍々属津田耕重が発起人となり・A級及び運営委員会などと協議、下記大綱をたてて当時の川上悍所長に許可を願い出た。
刑場整備の目的は、ただ単に美化するというだけでなく、戦争犯罪人として処刑された人々の刑場跡を、将来聖地として刑務所と分離し、いつでも国民が自由に参拝できるようにすることにあった。
『スガモ・プリズンの回想』 森田石蔵 著 H17.3.31 P463
「下記大綱」(いまのところ 略)
by mutati-on
| 2017-04-04 09:09