人気ブログランキング | 話題のタグを見る
NEW POST

ニンシキ  コウザイ 

ニンシキ  コウザイ _c0315548_15421040.jpg


Jane J. Lee,    National Geographic News  October 17, 2014


 ペルシャ湾の紺碧の海(手前中央)が膨大な砂塵嵐でかすんで見える(10月6日公開)。
カメラは北西に向けられており、湾の右がイラン、左がサウジアラビア、湾岸のクウェートを挟んで左奥がイラクになる。
厚い白い雲が連なる下にあるのはイランのザグロス山脈。






隔離された患者さんが 部屋の中で 「混乱」(して動き回る)という現場の状況

リアルに伝えてくださっているのは 現地からお帰りになることができた方でしょうか


 。   。   。


抜け出すことが困難な 全身を何箇所も釘で留めつけられたような 動けないような状態    
といいましても 様々ないきさつがあるわけで コラボの詳細もさまざま

雪崩にあったかのようにして 埋もれてしまい動けなくなってしまった とか
それぞれのご都合で「(理想的)パイプ」を引き受けておられた(る)方々も  などなど


病院に行く理由というのも人の数だけあり   それぞれのいきさつもあり



「隔離」

帰ることができたとしも 医師だけではなく 病気にさせ続けたい方は 周りにどれくらいか・・




何かは続きます       

生きていても     そうでなくても
 

その行き場のないような何かが どのようにか現れても 何も不思議はない
病名などのついたような 特定の何かにかかわらず

まして それを清算せずに利用し続ける勢力も・・   会社 というだけでなく     


理解なしで 分け合うことのむずかしさ・・  さらに混乱につながる
でも 分け合うことなしに 収まることはない


神とか悪魔とかいいますが   都合のいいシナリオなどもですか
一人一人の思いや考えの寄せ集めによる 何か だと 捉えており


 。   。   。


どこかに記入しても しなくても かもしれませんが  加えて 差し引いて

・・・^^        (書いてるじゃねえか)
 

 
あのか細い線の工事のような何かがスムまでは 特に   @※¥*;+? 


そのあたりの
何処かから ドコカに 戻るような・・ モドスような流れもあったり  なかったり



流れが逆になったり・・     すると  いくつかのシーンがあらわれ

道を隙間なくふさいでおられるのに さえぎっていることに気づいていない
ふさいでいることに気づいておられるのに (動ける方なのに) 何の都合でか動かれない
片づけないことに慣れ過ぎていて 何かの流れがきてもそのまま
やさしさなどを はきちがえてか 片づけないでいい 片づけないほうがいい と判断されるケース
着手しても メンテナンスや片づけをしてこなかったのか それらを甘く見すぎておられる・・ ように感じられたり
白黒以外はグレーだけではない・・  無数の色をみようとせず  かえって 片づけものをふやしたり 

このような ツラツラと出てくることに対して 長所をみろ とかいうような場合は
いかに それらのことを押しつけてきたかの バロメーターにもなったり


一つのケースは 図書館の方が 館内で大きめの声を出された
何かに 即つながったのか 公衆の面前で 唐突なタイミングで 言いがかりをつけてこられ
それがいかに不当であるか ということは どこからも見える状況をそのまま述べるだけで十分
ご本人は ややきょとんとしながら なぜ口から出たのかわからないようすで 
説明は受けとっておられるのに  事情が理解できないようで もごもごされて

集合意識?的なものの なにかの部分かなあ ととらえており 
すれちがう お掃除の方たち など スムーズなケースもないことはなく


流れの 少しの・・ほんの少しの変化が起きたりしますと 抵抗なのか 反動なのか 反作用なのか
フタを トビラを 開けたくないのか     理解しがたいですが

とりわけ 事務的に と 思うしかないような  思っても次々に・・ というふうな 遣る瀬無さ
配慮 ということの 是非       延々耐えるつもりもなく 



ゆっくり徐々に減少させることによって長期離脱何とかの発生の可能性を最小限にすることができる
ということと

慢性的にさらされることで 何かの影響を弱めようと神経系が適応し 耐性と身体依存につながる
ということ

このような   抜け出すことの困難さは 人類が望んでつくり上げたシステム

1パーセントにも満たないような何かで いかようにもなるのではないでしょうか



ジムテキな打ち込みを            可能なら


(~24)







※D・ヒーリー氏の「市販薬」(同根系であろうけれど別件)についてのお考えなどは 記入しておりません
 




抗うつ薬の功罪 SSRI 論争と訴訟』 2005年 みすず書房  

デイヴィッド・ヒーリー   
田島治 監修    谷垣暁美 訳



David Hearly の2005年当時の略歴など (「水のごとし」に飛びます)






物語の 重要なひねり

比較的すみやかに気分がよくなるトランキライザーとちがって、抗うつ薬は効きはじめるのに数週間かかるというのが1980年代前半の常識だった。処方医は患者に「気分がよくなってくる前の数週間は、飲む前よりも気分が悪いと思うかもしれません」と言うように教育されていた。この戦略の狙いは、これは手軽な応急処置のための薬ではなく、問題を根本から解決する医薬品だというメッセージを発信するということにあった。(P22~)


その教育的情報に はらむ問題

この薬が医師の処方箋によってのみ入手できる薬であり
処方する医師がこのメッセージだけを伝えるよう訓練されている

多くの医師にとって、プロザックその他の抗うつ薬が「効きはじめる前の」早い時期に自殺傾向その他の深刻な問題を引き起こすという考えは、抗うつ薬が効きはじめるには何週間もかかるという教え込まれた情報と明らかに矛盾していると感じられる。一方、治療の早い段階における潜在的な危険について教育を受けていない医師にかからねばならない患者の側から見ると、主治医との関係から身動きがとれなくなるおそれがある。


(市販薬でなく) 処方薬なので 医師への配慮から
もしかすると自分を殺すかもしれない薬を飲みつづける人が多い

医師に相談しても おそらくは服用を続けるようにと言うだろう


うつ病キャンペーンによって発信されたさまざまなメッセージは
深刻なタイプのうつ病を患う入院患者の治療にもとづいていた

そのようなうつ病と     1990年代に盛んにSSRIが適用されるようになった
ストレス反応や適応反応 青年期の動揺などとは   まったく異なる種類のもの
(青年期の動揺などの場合 不調期間は平均的には三ヶ月未満)

うつ病発見の大がかりな取り組みとうつ病の治療を正当化するとされたうつ病の経済事情も
当初は 深刻なタイプのうつ病にもとづいて計算されていた


そのようなうつ病モデルについての仮説は―たとえば、治療によって自殺率が下がり、生活の質(QOL)が改善されるというものも含めて―どれをとっても、広い世間に存在する種類の「うつ病」にはあてはまらない。(~P23)



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「深刻なタイプのうつ病」の(治療の)例として挙げられているのは

躁うつ病を生きる』(1995)という本の著者 ケイ・レッドフィールド・ジャミソンといわれる女性
1998年4月のある月曜日 に幕を引かれた
 

「何百万人の人が頼っているからといって、プロザックの危険性が減るわけではありません」(母親)

「あの子が亡くなった当初、私たち家族は自分を責めました。どうしてあの子の苦しみに気づいてあげられなかったのかと。あの子は自分の悲しみをとてもうまく隠していたのだと思いました」 
(でも カウンセラーの結論を聞いてからは)
「あの子は健全だったと。少女から女性になるはざまで苦悩にうちひしがれ、不幸を感じ、生きるのがつらかったのだと。そして、プロザックがあの子の死刑執行人だったのだと私は信じています」(母親)

「正常だった」「精神的に健全だった」(見ていたカウンセラー)
「病気がわかる前に自殺していた可能性は大いにあった」(D・ヒーリー)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ その 深刻なタイプ が 身近なことのように 思っております



          ・


いかなる種類の治療者にとっても 自分のやっていることに潜むリスクが見えにくくなっている


精神分析医は、患者がよくならないのは、根底にある神経症のせいだと考えた。精神科医は、抗精神病薬に誘発された遅発性ジスキネジアの、容貌を損なう慢性的なしかめ面を、患者の統合失調症のせいにした。そしていまでも誰もが、ベンゾジアゼピンやSSRIの引き起こす依存を、患者の人格や患者の病気のせいにする。リリー社と多くの臨床医は、プロザックに誘発された自殺傾向について、プロザックをではなくうつ病を責めたてた。この歴史が示唆しているのは、治療をもたらす人たちが、その治療の危険性を明るみに出すという点で最適の人たちではないということだ。(P303、4)



           ・


1991年、ハイライム・ウィルトグストがリリー社のための顧問団にはいるように私を誘った。1980年代後半以来、新薬の売り出しにあたって企業がオピニオンリーダーからなる顧問団を組織することが慣行になっていた。たとえば、うつ病に対する認識を高めるキャンペーンなどの教育的キャンペーンの利点について、顧問団は助言を求められる。開発中の薬について意見を求められることもあり、守秘義務を守ってほしいと言われることが多かった。(P79)


顧問団は10ないし20人のメンバーからなり  旅費を出してもらって集まる
自腹では払えないようなレストランで食事し 豪華なホテルに滞在
翌日の会合の日の分は謝礼が出る  1990年代前半で1000ドルから1500ドルだった



一種の怖いもの見たさで、私は顧問団に加わることに同意した。自殺傾向について書いた論文のことについてねちねちと訊かれるだろうと予想していたが、意外にもひと言もふれられなかった。あるときの会合は、私たちにサイエントロジー教会〔1950年代にアメリカのL・ロン・ハバートが創設した宗教団体。精神療法理論ダイアネティックスを教義とする〕についての情報を提供するためのものだったようだ。私はその集まりに出席できなかったが、資料を取り寄せた。英国精神薬理学会のニューズレターの編集責任者だった私は、ちょうどそのころ、ジャーナリストのダンカン・キャンベルに頼んで記事を書いてもらおうと、口説いている最中だった。キャンベルは医学にとっての過激派グループの脅威に関する著作があった。その少し前にブリストルで、動物開放戦線(ALF)が精神薬理学研究者の車の下に爆弾をしかけ、重傷を負わせた事件があったばかりで、神経科学者たちはサイエントロジー教会のようなグループが脅威になるかもしれないとぴりぴりしていた。

『ヒト精神薬理学』誌にSSRIと自殺についての論文を発表したあと、サイエントロジー教会の関連組織である<市民の人権擁護の会>(CCHR)から何度か電話がきた。秘書によれば、ぜひとも私を電話口に出すように、これは非常に重要な―文字どおり生きるか死ぬかの問題だと言われたそうだ。私はいっさいそのような電話には出なかった。サイエントロジー教会は、私がいかなるかかわりももちたくない団体だった。サイエントロジー教会が「プロザックそのものが問題だ」という見解をむやみに信奉しているさまを見ると、私はまだしも、リリー社の見解に肩入れしたい気がした。(~P81)




          ・


本のタイトルに「論争と訴訟」とありますように 数多くの訴訟にかかわってこられた著者さん



(P337~)
原告が法にもとづく賠償を追及する方法は国によって異なる。「勝たなければ報酬なし(no win, no fee)」という制度。〔原告弁護士の成功報酬システム〕を含む米国の制度は、その批判者たちによれば、とるにたらない訴訟がたくさん生まれる原因であるという。

英国は最近まで、法律家の助けを必要とする場合、平均的な原告が無料でそのような助けを得ることができた。たしかに英国では米国よりも訴訟の数が少なかったが、政府はその制度のコストを負担に感じ、1997年の選挙での労働党政権の誕生に続いて、「勝たなければ報酬なし」制度への動きが起こった。

米国では「勝利なければ報酬なし」は、原告が負けた場合、原告側の法律事務所がコストを引き受けなければならないということを意味する。これは非常に高額になる場合がある。SSRI訴訟を裁判に持ち込むにはドーバート審問その他の申し入れに対応したり、精神薬理学から企業のデータの分析、臨床的な問題までをカバーする専門家をそろえたりすることも含めて、25万ドルぐらいの金が必要である。法律事務所がこの種の訴訟を扱う方法を発見するのはいくつかの訴訟で負けてからだというのが標準的な見方なので、このゲームに参加するには100万ドル程度の出費を覚悟しないといけない。こんなに金がかかるのでは、とるにたらない訴訟はあったにしてもごく少数だろう。


原告と法律事務所が訴訟を起こすとき、彼らが直面する問題はけっしてとるにたらないものではない。ヴィッカリーのウェッブサイトには次のように書かれている。

私たちの責任―私たちはそれを非常に真摯に考えている―は、誰が見ても言語道断な場合をのぞき、訴訟を断念してもらうことである。無限の資源をもつ相手を被告とする訴訟にかかわることは、たいへんな企てであり、あなたの感情的・精神的・経済的資源を吸いつくしてしまう。あなたに起こった悲劇によって、これらの資源はすでに深刻に枯渇しているのに。私たちの経験によれば、製薬会社は何10億ドルにも相当する大切な薬を守るためなら手段を選ばない。あなたが製薬会社を訴えれば、製薬会社の弁護士はあなたの生活のすべてのクロゼットのドアを開き、すべての骸骨をを顕微鏡で調べるだろう。あなたの生活のすべての側面―配偶者のアルコール問題、娘の中絶、職場のトラブルなど―が、彼らの薬が起こしたと思われる悲劇の原因としてもちだされる。訴訟の厳しさを言い表すのに、訴訟のプロセス自体が、訴訟を起こす理由である悲劇以上の苦痛をもたらすだろうといってもけっして言い過ぎではない。

英国やカナダやヨーロッパ大陸の国々の制度では、原告が負けた場合、自分たちの裁判費用だけでなく被告側の費用も払わなくてはならない。相手が製薬企業の場合、十人以上の専門家を雇い、ときには多くの法律事務所を使って準備書面を用意させるのがふつうなので、裁判費用は莫大だ。製薬会社が、敗れた場合に備えて法律事務所のために掛ける保険の保険料だけでも数百万ドルにのぼる。このシステムはヨーロッパや英語圏では、製薬企業に不利な判決が出たことがないという伝統を維持するためにあるもののように思われる。
(~P339)




D・ヒーリー氏は原告側専門家証人という立ち位置 

   

トロントでの会の前の週、私は自分が運営することになるプログラムのポジションに応募してきた心理学者を面接し、新しいオフィスのインテリアを考え、CAMHの所長であるデイヴィッド・ゴールドブルームを相手に、英国からカナダへの移転についての細かい打ち合わせをした。私の給料の一部はゴールドブルームが動かしている予算から来ることになっていた。私は自分がかかわっているSSRI訴訟の話をしたが、彼はまったく関心がないようだった。75周年記念の式典の当日、精神医学部門の一部はリリー社と「新しい研究成果」について話し合うためにインディアナポリスのリリー社に行っていた。リリー社はトロント大学の精神医学部門の研究に資金を提供していた。(P292)

CAMH:嗜癖・精神衛生センター


(上の部分を含めて 【トロント・スキャンダル】などを 水のごとし に入れました)


これは2000年ごろまでのかたちのようで その後トロントでの出来事があり・・ どうなっているか







影の学会 (P152、3)

1990年代、私は製薬会社で情報がどのように動くかについて多くの著述をした。さまざまな事柄が私の考えに影響を与えた。1993年にはクロミプラミンについてのジョージ・ボーモントへのインタビューを公表した。この記事についてはチバガイギー社から、二万部ほしいという打診があったという。有名な専門誌に掲載された非常に優れた記事で新しい観点を打ち出しているいるものでも、明確な商業的意義のないかぎり、200部あるいは300部以上も増刷されることはめったにない。どのような論文がその壁を越えるかは、ちょっと考えれば容易に察しがつく。

同じころ、教育とマーケティングの微妙な境界線を描いた一連の記事が有名誌に載った。コンセンサスを探るための会合に実際には一つの観点しか示されていないとか、専門誌の別冊が読者を欺いて、掲載記事が査読を経た論文であるかのようにみせかけているとかいうものだ。

この時期私は四つの会社のために講演をしていた。ということは、多くの広告会社、コミュニケーション代理店、患者グループとつきあっていたということだ。私の目に新しい世界の像が少しずつ見えはじめていた。その世界とは、企業が一日1000ポンドもの金を出して代理人を会合に送り込み、患者のグループをつくり、それに影響を与えようとする世界、科学の名のもとに催される会合が産業見本市と多くの共通点をもっている世界である。





患者グループ  (P153~)

1996年10月に出席していたかもしれなかった ある会合
「真の結果をもたらす的をしぼった患者教育キャンペーンの創造のために」というもので
運営にあたっていたのは ロンドンの国際調査研究所(IIR)

製薬会社のマーケッター、プロダクトマネージャー、ブランドマネージャー、医学情報担当者などは、ぜひとも参加するべき会合だというふれこみだった。誘いの文章には次のように書いてあった「消費者に対して直接的に、医薬品の販売促進活動をすることは、ヨーロッパでは依然として厳しく禁止されていますが、注意深く計画された患者教育キャンペーンは許容され、製薬会社が付加価値サービスの利益を認識するにつれ、ますます広くおこなわれています。この二日間の会議であなたは、的をしぼった患者教育キャンペーンをつくりあげ、その病気の分野でのあなたの専門性を確立し、会社の知名度を上げる方法を発見されるでしょう」。

とりわけ、この会議では「効果的なキャンペーンと新しい教育テクニックを実際に経験し、効果的な患者教育のビジネス上の利益を評価し、病気の管理と製薬マーケティングにおける世界的な専門家たちの経験から利益を得る」ことができるというのだった。

※下線は 本では点々で表現されています

「経験」 「評価」により  「利益を得る」ことにつながる わけですね



患者グループはこの巨大な市場の鍵を握る存在 指圧のツボのようなものになっている

たとえば うつ病は脳内の科学的平衡異常であることが知られているといった類の見解を
「情報に通じた」一般大衆に浸透させるための理想的パイプである

1990年の末ごろには 新しい抗うつ薬の販売促進とは 患者に講演をさせることを意味した
聴衆が皆医師である場合もあった

マスコミに公開された会合では、患者の講演者は専門家の講演者よりも重要だった。当時、製薬会社が伝えたかったメッセージである、脳内のモノアミンレベルの低下を正すことによって元気になるということについて、患者講演者はジャーナリストに単純なストーリーを提供することができた。これらの人々は化学による救済の生きた見本だった。

いち早く、患者の組織化が進んだのも、その組織に製薬業界が食い込んだのも米国だった。米国の患者の直接行動主義は栄えある伝統に根ざしている。精神疾患分野の最初にして最大の患者組織、全米精神障害者連合(NAMI)もこの伝統のもとに形成された。1990年代には、製薬会社からの支援の多さが物議をかもした。NAMIは「心の病気は脳の病気」というスローガンのもとに攻撃的なキャンペーンを展開し、精神疾患への偏見を減らす方法は、いまよりも多くの人が精神疾患だと診断されて治療を受けるようになることだと主張していた。

患者グループが企業の支援を求めること自体は、何ら悪いことではない。しかし、正確に何が起こったのかは記しておく価値がある。

1970年代、北米とヨーロッパの患者グループは精神医学批判の急先鋒だった。精神疾患の分野において、これらグループと反企業グループは連合を形成し、ヨーロッパの市場から抗うつ薬を排除することに成功した。これに対応して、企業は患者グループと対立するよりもむしろ擦り寄りはじめた。患者グループをつくるのに、ひと役買う場合もあった。たとえばチバガイギー社の支援を受けて生まれた小児注意欠陥障害(CHADD)のグループは、リタリンを擁護するロビイストとして大きな役割を果たした。強迫性障害(OCD)、社会恐怖症患者、トゥーレット症候群などについてもそれぞれの患者グループがつくられた。

1990年代には患者の来る集まりで講演者がうつ病や統合失調症について従来からの(おそらくは比較的安価な)治療薬を擁護すると、患者の反発にあいかねなくなっていた。それらの患者たちは化学的拘束衣を脱ぎ捨てたがるどころか、最新の高価な薬を手に入れたがっていたのである。こういう状況下で、うつ病患者同盟(DA)のような患者グループは製薬会社から支援を受け取ったり、抗うつ薬のメーカーを顧客とする広告会社のオフィスの設備を使ったりしている。

このような取り決めによって、患者たちは彼らが切実に必要とする便宜を得ているが、広告会社や製薬会社にも得るところがある。患者グループはその病気に対する最も優れた臨床活動に与えられる賞のスポンサーになるのを企業に「手伝って」もらったり、企業から資金の提供を得て患者のための自助ハンドブックを出したりする。自助ハンドブックは患者グループの団体名で発行され、専門家の名前も出ている。よくあることだが、もとの原稿が広告会社によって代筆されたものだとしたら、患者グループは販売促進のための雑誌を配布するパイプ同然の存在に貶められる危険がある。しかもそういう取り決めでは、書かれた内容についての法律的責任を背負い込まされるのがふつうである。

近年、患者グループは子どもや若い人々のうつ病に注目するキャンペーンを支持している。このようなキャンペーンは最初はまったく無邪気な顔つきをしている。医療を進めるよりも認識を深めることに重点が置かれる。しかし、認識は薬物療法の前奏曲である。たとえばリリー社は妊娠中や産後のうつ病について患者グループが情報を広めるのを援助している。これは妊娠中や産後のうつ病で治療を受けている女性患者へのSSRI投与につながるであろう。SSRIが胎児に影響を及ぼす懸念があるにもかかわらず。
・・・・・・・・・・ (~156) ・・・・・・・・・・





(P234~)
救急センターで質問をしてみて、私は次のようなやりとりがごくふつうであることに気付いた。

問い 皆さんが扱う自殺企図の中で、初めての過量服用で運ばれてくる人たちがいますか?
つまり、自殺類似行為の常習者ではない自殺企図者ですか?

答え いますよ。
問い そういう患者が、従来の抗うつ薬ではなくSSRIを飲んでいることが多くなっていませんか?
答え
 そのとおりですよ。
問い そういう人たちの抗うつ薬についてどう対処しますか?
答え 私たちは彼らを家に送っていき、薬が作用している証拠だよと言います。

このとんでもないアドバイスから、なぜ医薬品発売後の調査監視システムが警告のサインを把握できていないのがわかった。薬が作用していると報告しても何もならないのである。この問題にはリリー社がある役割を果たしていた。リリー社がプライマリーケア医にセロトニン回復シンドローム―私にとっては初めて聞く言葉だった―というもののことを話していた時期があるのである。プライマリケア医にこのように話していた背後には、医師が患者にそのようなことがあると警告しなければ、患者が服用をやめてしまうかもしれないという事情があった。リリー社は自殺の危険を最小限にするようにではなく、患者がプロザックをやめないように警告を発していたのである。


南ウェールズの農夫、リチャード・ウッドの場合には、検視官が公然と疑念を表明した。「イーライリリー社は医師や患者に渡しているパンフレットをもう一度見直すべきではないか」と。マスコミに取材されたリリー社の反応は、患者の面倒を見るのは医師の責任というものだった。「当社ではプロザックに患者向けのパンフレットをつけていますし、臨床医には最善のアドバイスをしています」

リリー社はたしかに英国内で「一日一日」と題する患者向けの小冊子を配布していた。この小冊子には次のような助言が含まれていた。

5日目
 がんばって服用を続けましょう!いま、どんなに気分が悪くても、2、3週間すればよくなりますよ。
6日目 がんばって服用を続けましょう!治療の成否はあなた次第です―いま、治療を断念してはいけません。
11日目 ご存じですか?不安や落ちつきのなさは、うつ病でよく起こる問題です。
でもたいていは、薬を飲みはじめて2、3週間すれば改善します。
12日目 がんばって服用を続けましょう。気分がよくなるのにもう少し時間がかかるかもしれませんが、
あとで必ず報われます。
13日目 がんばって服用を続けましょう!もし、まだ気分が悪くても心配はいりません。服用を続けるかぎり、
あなたは回復への道を歩いているのです。
17日目 ご存じですか?病気が重症であるほど、抗うつ薬がよく効くものです。
20日目 あなたの薬について、どんな副作用もたいていは心配がいりません。
最初の2、3週間が過ぎれば解消します


薬と「アドバイス」。どちらの毒性が強いか、判断しがたいところだ。(~P237)



          ・


人質問題は子どもの場合さらに深刻だ。子どもは医師と親の両方によって罠にかけられる。医師も親も子どもがどういう経験をしているのかまったくわかっていない。医師が故意に、状態が悪くなるような薬を子どもに与えるとは誰も考えない。悲劇が起こってしまったあと、「罪のある」医師はどうするだろうか?医師は病気のせいにする。これはけっしてまれな話ではない。(P368)



          ・


元病理学者で精神科医に転じたポール・リーバーはニューヨークで臨床医として働いていたが、その仕事に嫌気がさし、1981年、FDAの中枢神経系(CNS)部門に転職した。リーバーはすみやかにこの部門の長に昇進し、その後15年間にわたって中心的な役割を担うことになった。(P54~)  

彼の最初の改革派人々を驚嘆させた
それまでにおこなわれていた抗うつ薬臨床試験を調べて 指摘した

新しい抗うつ薬を元からある薬と比較する臨床実験で、新しい薬が従来の薬に効き目が劣らないことが証明されると、それは新しい薬が古い薬と同じくらいよく効くということだと誰もが思いこんでいるが、どちらの薬も効力がない、ということも大いにありうる。新しい薬が効くという証拠が出てくるのは、プラセボと比較する臨床試験からだけである。 (ポール・リーバー P54

たいへんな騒ぎになった   多くの臨床試験はプラセボの試験を含んでいなかった

プラセボより優れていると証明することの困難さにより 
新しい抗うつ薬が認可されるのが難しいくなっていくことが予想された


しばらくの間 米国市場にはいってこられる新薬はなかった
比較的長い空白のあとのようやく登場した新しい抗うつ薬  プロザック

多施設試験の参加施設を別べつに数えると
プロザックの効力を肯定する結果が出たのが4 否定する結果が出たのも4

―肯定するほうが圧倒的多数であるとは言い難い


もともとの計画ではプロザックは1986年に米国に進出するはずだった。FDAがようやくプロザックを認可したのは1987年後半のことだった。それに先立つ3年以上の審査の過程で、FDAはプロザックの臨床試験のデザインに重大な欠陥があることに気づいていた。効力の弱い抗うつ薬の認可パターンはここに始まる。その後は、6つの臨床試験のうちプラセボにまさる結果が出せたのが二つぐらいしかないような新薬が、FDAに認可申請されることが珍しくなくなった。FDAは、結論としてこの新しい薬の効果はプラセボと変わらないとか、こんなに効力の弱い薬は市場への参入を許可する値打ちがないとか言う代わりに、新薬を従来薬と比較する試験で、従来薬の結果がプラセボと変わらないようであれば、その試験はだめな試験である、というようになった。つまり薬が失格したのではなく、試験が失格したのである。 (P56)


このあいまいさはゾロフトの認可申請を見るとよくわかる
五つの試験のうちプラセボより優れていることを示したのは二つだけ

ゾロフトのほうがプラセボより優れていると主張する研究がほかにもあるが、それは服用を中止した患者が「再発」したというもので、「再発」とされているのはゾロフトの離脱症状だったかもしれない。入院しているうつ病患者を対象とした二つの試験では、ゾロフトはアミトリプチリンに劣り、効力を否定された。 (P56)


どのように解釈すべきでしょうか・・・・・・効果を証明できなかった数件の臨床試験とともにある二つの肯定的な結果を。私はこの問いの答えを知っている自信がありません。けれども幸か不幸か、法は私がこの問いに答えを出すことを求めていないようです。つまりこういうことです。スポンサーはいつまでも試験をくり返せばいいのです。単なる偶然によって、統計的に優位な結果が二つ出るまで。二つ出そろったら、それを掲げて、基準をクリアしたと言えばいいのです。 ポール・リーバー P56、7



FDAが薬を認可するということは、適切に服用すれば何らかの意味で健康にいいということだろうと信じている人にとって、この状況はさらなる問題をはらんでいる。「二つの肯定的な結果」とは二つの試験で、薬がうつ病に効いたという意味ではない。薬がうつ病に何らかの効果が生じたと証明できる―何かをしたと証明できる―試験が二つあるということなのだ。そういう薬を飲むことがいいことかどうかは別の問題だ。言い換えると、これらの臨床試験はふつうの人が言う意味で薬は効くという証拠―つまりその薬が問題を解消するという証拠―を提供するものではない。

薬のマーケティングをする製薬企業は、その薬の根拠となった貧弱な証拠について何一つ公表する必要がない。企業は新しい薬品を、理にかなったエンジニアリングを強調する派手な宣伝文句、体重減少などのオマケをほのめかし、有名人の賛辞で飾り立てて売り出すことができるのだ。1980年代の末からは、薬が本当にどの程度よいものかについて、独立した研究機関からの異議申し立てに煩わされることもなくなった。精神薬理学界では独立した研究機関が極端に少なくなったからである。 (P57)




プラセボとの違いを証明できる場合があれば、その薬は抗うつ薬であるという原則を、軽症から中等症までのうつ病において採用すると、デキストロアンフェタミン、メチルフェニデート、ニコチンなどの中枢刺激薬も、抗うつ薬だと証明できることはほぼ確実だ。このルールに従えば、軽症から中等度までのうつ病の人にとっては、ベンゾジアゼピンも抗うつ薬だということになるだろう。誰もそのような薬の臨床試験をしないのは、ひとえにビジネス上の計算による。これらの古い薬は特許が切れているので、儲かる見込みがないからだ。

以上のことから引き出せる重要な問題がある。私たちは、監督官庁は私たちの面倒を見てくれるという考えに慣れている。監督官庁はいわば、消費者の番犬だと思いがちだ。しかし、彼らの役割はそれではない。監督官庁の役人の役割は、たとえば、自分の前にある黄色い物質がバターである最低基準をクリアしているかどうか、裁定することである。それがたとえば、着色したラードではないということを保証することだ。監督庁の役人は、このバターがいいのか、そうでないのか、バターが健康にいいかどうかを判断する使命を帯びているわけではない。消費者の番犬ならそういう使命を果たさなくてはならない。医薬の世界では、医師こそ消費者の番犬であるはずだが、医師自身が製品を消費することがまれだという事情もあって、ほかの商品の場合とは異なる独特であいまいな状況になっている。

法律的状況はさらに複雑だ。監督官庁の権限が、何らかの効果(effect)を生ずると証明された薬が市場に参入するのを許すのであれば、これまでFDAがしてきたことは弁明可能だろう。だが、大半の国の法規の言い回しのように、有効な(effective)薬を認可することであれば、SSRIの立場はずいぶんあやふやなものになる。
(~P58)


あー こっちか  これは何に見えますか? のゲームは

オモシロい トイウヨリ オカシい   ハイケイが超リアルな  
コレはナンデスカ?   ソノヨウにミエルカモシレナイが・・   マジメにヤッテッカラ ワラッテシマウ
ソコラアタリでは オオウケネライがオオクて   ・・・アンノジョウ ケンサク可ダ   ウチワこんと




「犬」の「番」をする どれくらいかの「ヒト」・・・



 



(P115~9) 
水のごとし 自家栽培のアカシジア に下記の部分も含めまして 検査の詳細などを長く書き込みました



顧問精神科医のグウェン・ジョーンズ・エドワーズは落ち着きを失い動揺を見せた。顔色も姿勢も変わり、「統合失調症患者」のように見えた。彼女はある瞬間には、何をするにもたいへんな努力がいるように感じ、次の瞬間には気持ちがそわそわと波立ってきたなんとか何かをやれそうな気がしていても、たちまち、身動き一つできなくなる。それがひっきりなしにくり返された。たった一回、薬を飲んでから一週間経っても、まだ変な感じがしていた。その一週間に、彼女は何度か自殺したい気分になった。

(1993年 抗精神病薬のテストがおこなわれ そののちに)
精神科医のグウェン・ジョーンズ・エドワーズは 自分の経験について語った

BBCのラジオ番組「オール・イン・ザ・マインド」において
また 患者向けの雑誌の記事でも 非常に生々しく描写した



彼女はこの記事のもともとの原稿を専門誌の『ヒト精神薬理学』に送ったのだが、この話題が神経症的だとみなされて、受け付けてもらえなかった。一回だけの服用からこんなに長い時間がたって反応が残っているなどありえないというのである。

しかし、私は化学病理学の教授で、精神薬理学の先駆者のひとりであるマートン・サンドラーと手紙のやりとりをしていたことがあるが、サンドラーは1950年代後半、たった一回、レセルピンを飲んだだけで4週間も副作用に苦しんだそうだ。レセルピンの一回の服用で、彼は偏執的になり、攻撃的になった。グウェンの反応は異例のものではない。興味深いのは、このように長く続く反応が、向精神薬をたった一度用いただけで起こりうることを精神薬理学分野が忘れ去ってしまっていたことである。

この実験はプロザックの危険性に対する私の姿勢を変えた。そう思って文献を見渡せば、抗精神病薬を飲んだあと不快な気分になったり、自殺したくなったりした精神科医の報告がたくさんあった。薬物に引き起こされた焦燥や動揺を、コーヒー一杯多く飲みすぎた結果にたとえるのは適切ではないと思われた。健康なボランティアを被験者として協力してもらっているほかの研究者たちは、薬を服用した同僚にこのような変化を認めても、ボランティアによる研究が成り立たなくなることを恐れて、大きな声では言わなかった。1950年代から1970年代にかけての抗うつ薬開発においては、臨床医や製薬会社に協力する研究者が自分自身、薬を試してみるのはよくあることだった彼らは薬物が引き起こすアカシジアや不快気分についてよく知っていたしそれがどんなひどいことになりうるかも身をもって知っていた

1970年代には倫理的な思潮が変化して、囚人、知的障害者など、自由意志で同意したり、断ったりすることができないかもしれない弱い立場の人たちを対象に科学的実験をするのが困難になった。学生や製薬会社従業員も、薬を飲むのを断ることができないと感じているかもしれないということで、弱い立場の人であると考えられた。これらの変化の結果、1990年代になると、製薬会社の人々が自分たちの薬について、身をもって知っていることはずっと少なくなった。

しかし、向精神薬が患者の自殺傾向や殺人傾向をもたらすことについては確固たる文献がある。そういうことが起こりうることは誰も否定できない。それどころか、リリー社その他の製薬会社が1997年以降、新しい非定型抗精神病薬を売るようになるのは、従来の抗精神病薬と比べてアカシジアを起こすことが少なく、したがって自殺傾向をもたらすことも少ないという理由による。プロザックが不快気分や焦燥を引き起こすことが、最初から認識されていたことを考えると、リリー社にせよ、誰にせよそれがこの薬が自殺や殺人にもつながりかねないということをいかにして否定できるのか、理解しがたい。













≪さあ 何が(何か)残るでしょうか?≫国 (星?) を 目指しておられる?

あるいは ツライ状況にある方々にとっての 「朗報」寄り なのか


     。   。   。   。   。


詳しい中身などがわかりませんので あれですが

丑三つ時に発信されて・・   (苦しまれておられる患者さんのために)お急ぎなのか?


「不良」なんとか とかいう扱いに関することなのかな?

関節リウマチの原因特定=免疫T細胞が異常攻撃―京大時事通信社
2014年10月17日 03時01分 (2014年10月17日 09時17分 更新)  


◆は、免疫の司令塔と呼ばれる「◆細胞」が特定のたんぱく質を標的に異常な攻撃を行うことが原因で発症すると、◆大再生医科学研究所の◆助教らの研究グループが発表した。◆を使った実験の成果で、新たな治療法の開発につながる可能性があるという。論文は17日付の◆科学誌サイエンスに掲載される。


研究グループによると、◆細胞は外部から侵入したさまざまな病原体から身を守る働きをする。◆などの自己免疫疾患は、免疫システムが誤って自分の体を攻撃することが原因とされてきたが、標的となるたんぱく質の特定は難しかった。


研究グループは、◆を自然に発症する◆を詳しく調べ、たんぱく質を特定。◆の◆患者でも、同じたんぱく質に対する免疫反応が確認された。

◆助教は「◆細胞を取り除くことで、◆の発症を防ぐことができる。新たな治療法や予防につながる可能性がある」と話している。 


特定・・   「●」のどれでのこと?    どれを取り除くのかな?


     。   。   。   。  。


「◆の多くは■細胞由来であったが,◇が見いだした◆は例外なく●細胞由来であった」
9.15に
 ヤリトリで 【T細胞】の分類について Wikipediaから引っぱらせていただいた

細胞】分類  
末梢に存在するほとんどの成熟した●細胞は、細胞表面のマーカー分子としてCD4かCD8のどちらかを発現している。CD4を発現した●細胞は他の●細胞の機能発現を誘導したり■細胞の分化成熟、抗体産生を誘導したりするヘルパー●細胞として機能する。このCD4陽性●細胞は、後天性免疫不全症候群 (AIDS) の病原ウイルスであるヒト免疫不全ウイルス (HIV) や、成人●細胞白血病 (ATL) の病原ウイルスであるヒト●細胞白血病ウイルス (HTLV-1) が感染する細胞である。CD8陽性●細胞はウイルス感染細胞などを破壊するCTL(キラー●細胞)として機能する。


また、NK細胞と●細胞の性質を併せ持つNKT細胞や、CD25分子を発現して他の●細胞の活性を抑制する働きのあるレギュラトリー●細胞などもある。最近では胸腺を介さずに分化成熟する末梢性●細胞が存在することも知られるようになった







D・ヒーリー氏の著書で 副作用なのかどうかもわからないような体調になられた方々の
日常も いくつものケースがつづられておりまして

「人格障害」という病名も出てきますが いきさつや症例についての記述をよみましても
頷く ということがありまして   違う人格に  といいますか 簡単に別人になれるのですね 

短時間で 想像もつかないような

本人も周りも 戸惑うばかり    そこに 次々と病名が付くので 混乱の度は増す


本人は覚えていない というケースも多く   それは本当に幸いなことと思います
(薬に限らない という 別のケースなどでは 幸いでない場合も あるでしょう)








先月末に借りて ほとんど開かないのに 延長して手元にある という
「図録」といいますか  「解説書」のような


『魏志倭人伝の世界  吉野ヶ里遺跡展』
1989.9.9 朝日新聞社


当時の韓国国立中央博物館館長である韓 炳三氏が お祝いとしての文章を寄せられていて
(順番としては はじめのほうの 主催者の挨拶の次に置かれているのですが)



この遺跡の語る時代は、韓半島と日本の一部とで、「国」がまさに生まれようとする決定的な時期

稲作の発展、生産力の増大が富の蓄積をもたらし、国の成立へとつながって行く

などとあり



イラストや説明文があって 初めの画像が見開き カラー なのですが

大きな 「首のない人骨」が目に入ってくる感じ  
そういう表現がされますけれど 頭部がない ですね



「実は、この弥生時代こそが、日本列島の歴史の中で、人の集団と集団とが武力をもって衝突して殺しあう行為、すなわち戦争の始まった時代だった」 
と どなたかによる説明文が添えられていたり

これも 
オモシロクナイ


終盤にも 韓氏の文章が置かれていて (プロローグ エピローグ 担当?)


韓国から見た吉野ヶ里遺跡】 と題された 文章の締めくくりの部分

吉野ヶ里遺跡展の観客の方々に、この点をよく見てほしいというアドバイスを。
(聞き手 藪下彰治朗 朝日新聞東京本社編集員)

いっぱいありますが、第一に鉄がいかにこの時代の社会相を変えたか、という点を考えの中心に置きながら、見てほしいと思います。第二に鉄の登場によって、日本には、日本独自の文化が生まれ始めた、ということをよく見出してほしいのです。社会の発展は文化の独創性をいかに生み出して行くか、の理解も深めて下さい。それが日本、韓国、東アジアの古代史への認識を真に深めていくと思います。そしてその理解の深まりこそが学問の大きな進歩と韓日領両国の友好を育てて行くのではないでしょうか。

(韓国国立中央博物館館長  韓 炳三



ということですので (骨の画像を見) そんな「点を中心に置きながら」


その鉄を使う 何処かの人間が(ある面では) どんなふうに変えちゃったんだよ

独自 というのはどれを指していっているのだ?

独創性とは?


そんなこと 思いました




むかしむかしのお話は あったかどうかもわかりません
ただ 今みることができる   みえにくいかもしれないけれど  あらわれている 

と 個人的には思っており


そのまま かな


。..........................................................................................。



剣 というだけでもなく   


刃モノ(コレクション)は モロハでも     サカバでも  
カザリモノでスマスためには

十分に気をつけなければね



。...............................................................................................................。



ニンシキ  コウザイ _c0315548_10450667.jpg

Photograph courtesy NASA/Goddard/Arizona State University
National Geographic News
October 15, 2014


 通常は月面に向けて固定されているNASAのルナー・リコナイサンス・オービタ(LRO)のカメラで撮影した地球と、その彼方に見える火星。撮影時、LROから地球までは約37万7000キロ、火星まではその約300倍、1億1250万キロの距離にあった。
 
画像の地球は上が北で、中心から右寄りにアフリカ大陸全体、地中海を挟んで上にヨーロッパ、左には大西洋のほぼ全体が写っている。また、典型的な雲のパターンをいくつか見ることができる。赤道付近には雷雨をもたらす濃い雲の帯(熱帯収束帯)が東西に延び、西アフリカ沖の北大西洋上にはクローズドセル(海上で形成される六角形の雲が連なった雲域)が広がっている。




。..........................................................................................。



  







 宇宙はすべて生き物かもしれない




















056.gif





なんか すごい「感じ」・・   詳細についていけてないですが。。。     

かなり  ソウトウ易しく 平たく書いてくださっているというのに   (わからないのかよ)



何をどうかいてもあれかな とは思ったのですが
結果的に 記入してしまい   お手間をとらせてしまいました

なるべく 余計なことは書かないようにいたします  (少しだけ)

申し訳ない











ニンシキ  コウザイ _c0315548_10390768.gif



やめなさい






by mutati-on | 2014-10-16 13:42